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windows10 価格 vistaからはいくら? [ニュースの話題]

いよいよWindows10の無償アップデートの予約が始まりました。

Windows7やWindows8、Windows8.1のそれぞれ最新版が動いている端末には、無償でアップグレードがなされるという約束の「予約」です。

みなさん思われているのは、自分はvistaだけどどうすればアップグレードできるだろう、とか、xpなんだけど大丈夫か、という心配だと思います。

vistaマシンでいろいろ不満があり、だけど7にするのもなあみたいに考えているうち8がでてあれよあれよと言うひと結構います。

しかし、不思議なことに、今に至っても、各旧OSを対象にしたアップグレード価格は公表されていません。
いきなりOSを買いたいという価格もないと思いませんか。

無償アップグレード期間は1年となっていますから、それを過ぎると何かが発表されるかもしれない。だけど今は何の情報もありません。
そもそも、Windows10なんて製品パッケージで売るのか?値段がないならないのじゃないか?

言葉の論理だけを言うのであれば、全部をWindows7やWindows8からアップグレードしてくれと言っているのではありませんか。

たとえばMD=DOS3.1のマシンがあって、そこにWindows10を入れたいと言っても無理に近いでしょう。
なぜなら、メモリのサイズも大きく不足するだろうし、ハードディスクなどの周辺デバイスも制御に相当な壁があるでしょう。

DOS3.1なんて、1メガのメモリで動作すれば広々と使えるレベルでした。
ディスクは16ビット管理のFATというものだったので、3ギガバイトなんていうサイズは考えられなかった。
ハードウェアは、IDEだとかSCSIというコネクタで補助記憶とつなぐ考えです。そこには、専用のドライバがありました。
ネットワークは、msnというLANはつながりましたし、あとはNetwareとかDOS用に特別に作られたもので会話ができる相手としかつながらなかった。
通信は電話回線上を音声変換して信号を流すmodemというものをつないで4800bpsとか9600bpsなんていう速度でキャラキャラ音をたてながら会話していました。
ISDN回線を使うと64000bpsで通信できるので驚異的と皆が思いましたけど、所詮1時間で1メガバイトの送受信です。

Windows7以降は、最低1ギガが当たりまえで、外部記憶はUSBで拡張が可能であり、本体より先にディスクが立ち上がっていなければいけないこともなくなりました。
ネットは音声ではなく電話回線をメタル配線として考えてつなぐ直接データ通信に変わりました。そして無線もこれに入ったおかげで、1秒110メガバイトなんていうことになります。

どう考えても、MS-DOS3.1の機械がついてこれるスペックではありません。
だったら、MS-DOS3.1マシンのアップグレードでWindows10はあり得ません。
Windows7だとしても、そのOSのDVDを購入してMS-DOS3.1に読ませようとしても、そもそもMS-DOSではDVDの読み書きは不可能です。
何百枚になるか知らないけどフロッピーに書き換えたとしても、一時的に読み込みキャッシュするメモリ空間自体を持っていません。
 

しかし、何か特殊な意味があって、コンピュータは最新でもOSだけWindowsXPにしたものがあるということはありえます。
XP用にわざわざ外注して開発したようなシステムがあったとしたとき、vistaマシンを購入してきてXPを入れたというようなことはありました。
その場合は、Windows10が動作可能なスペックを持っているマシンかもしれません。

さてさて


ブラタモリ 東京駅で新発見、という話 [ニュースの話題]

この話、ちょっと誇張されています。

ブラタモリが取材中幻の自動車道を東京駅で発見、という話になっているみたいです。

近いけどそうではないようです。

当たり前です。

いくら取材といっても自分の持ち物でもない東京駅を掘り起こしてなにかを発見なんて不自然です。


要するに、東京メトロが大手町駅の改装をしようとして天板をはがしたところ、不思議な空間が発見された。

それは古い職員なんかには伝説になっていた自動車道なのだとすぐに気づいてワア発見だということになったのです。

時に、NHKのブラタモリの取材箇所として東京駅を予定しており、いわば見学コースとしてそこを訪れようとしたら、この事件と遭遇したということのようです。

タイミング的にラッキーということです。

おかげさんでNHKは、新発見の遺跡に第一番の突撃取材ができたという話になるのです。

これは本当に大変な運です。

学者なんかである、運を惹きつける体質というのを持っているのでしょう。

考えに考え続けて休まないで悩んでいると、答えが向こうからやってくる、と学生時代に木原太郎先生から教わりましたが、まさにそのコツを体得しているのでしょう。

ブラタモリはいつもすごいと思うのはタモリの知識の広さと深さで、これは何とかですね、といきなり専門用語をだして話題に食い込むところ。

続き


センター試験廃止 中高一貫について考える [学校]

センター試験、がなんかあまり価値がないのではないかという発想からきているのですね。
これ、考えてみましょう。
ちょうど本日2015年1月18日にセンター試験をやっています。

センター試験のはじまりの発想を思い出してみます。

もともと、各大学が自分なりの入学試験をしていて、この大学に入るならこういう勉強をしなければいけない、とか、そういうマニアックな方向にいってしまっていたのです。
そうすると、東大用の受験法、だとか京大用の技術だとか、早稲田ならこうだ、みたいな受験指導になる。
それが、予備校の色になったりしました。大学名らしきものをつけた予備校も出てきたりすることになりました。
万年浪人というものも発生し、東大に入りたいために5年浪人し続けるというような人間も発生します。

だったら、その受験に臨んでいいのかどうかを事前に判断したほうが、無駄な怪我がなくていいのではないか。
それで内申書チェックだったか、試験前に高校教師から提出された当人の観察報告みたいなもので0次試験をしようとしたのです。

しかし、これだとその大学の恣意的な方向性が出てしまい、本来の勉学希望と遊離してしまう。
エコひいきはないとはいっても、教師の評価方法、文章力でひと一人の人生を狂わせる可能性があります。

また、変にむつかしいことはできるけど、本来身に着けなければいけない一般的な教養の基礎が同じ地点にたっていないのではないかという危険があります。
そういう観察から、全国で一律に試験をして受験前の実力チェックとしよう、としたものがセンター試験だったのではないでしょうか。

ヨコに並んで、数学や英語国語などの知識や理解を、大学入試前に評価しておこう。そして、志望校にふさわしい実力かどうか自分で知っておこう。

それはひとつの見識だったと思います。

ただ、そうなると、全国で共通のひとつの試験、となりますから、なんとなく昔の中国の科挙みたいな側面がでてきます。
これは、受験のための勉強、というのが、一か所に流れ込むからですね。

センター試験を受けていい成績になればいい。だからその試験に向け準備すると。
広範な教科にむけた勉強が必要なので、嫌な科目でも歯を食いしばって目をつぶって通り過ぎようという感じになります。

そうすると、試験強くはなるかもしれないけど、身についたスキルにはならない。

まあセンター試験というのは、一回限りの剣術大会で真剣で戦うのに近いでしょう。だったら過去問だとかそういう研究だけになります。
原理は理解しなくてよくて、こういう問題がでたらこれが正解だ、と覚えるのが最善になります。


実際のところはどうなっているのか


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