社会党おたかさんの思い出 [ニュースの話題]
おたかさんが、20日に死去したと28日に発表されました。
おたかさんは、30歳以上の人だったら誰でも覚えています。土井たか子。
女性でパチンコをする政治家のおたかさんといって大スターでした。
中曽根売上税に絶対反対し、竹下消費税を攻撃し、発見されたリクルート事件で閣僚を攻撃し、宮沢喜一大蔵相辞任、竹下内閣退陣という武勇伝の持ち主です。
社会党は今ありません。
上り坂のときはよくって、その上り坂を駆け上がった時の中心人物が土井たか子だったんですね。
ところで、社会党と言う名前の政党はある時期まで脈絡のある政党だったんです。
自衛隊は違憲であって、国際協力の名で外にでることは絶対反対で、存在を認めない。憲法9条は絶対である。
北朝鮮は人もうらやむ人道的社会主義の成功国家であって理想である。
当然、犯罪国家なんていうことはなく、むしろ南朝鮮が腐敗国家である。
消費税は悪辣なぼったくり制度である。
リクルート事件は政治腐敗である。
宇野総理の女性関連問題は恥知らずである。
こういう畳みかけでわきあがってきたのがマドンナ旋風でした。
参議院で逆転をおこし、宇野政権が辞任をして、「山が動いた」と言ったものでした。
衆議院議長になったんですね。
これが社会党と言う政党の最後の大きな花でした。
上り坂を登りきると、下り坂になります。
次の選挙で、社会党は大敗を期しました。
この寸前まで、社会党は公明党と民社党との3党でつるんだ路線だったのですけど、公明民社が、社会党の独り勝ちがいやだと離脱しました。
この、兄弟分がいなくなったせいで、参議院でも力がなくなり、土井委員長の辞任ということになりました。
湾岸戦争が起きました。
それでも海外出動はだめだ、自衛隊は違憲だというのが社会党の主張でした。
これは支持を失います。
海部政権のあと、細川政権が発生しました。自民と共産党以外の政党が全部つるんだ状態です。
おたかさんは参議院議長になりました。
たしかこのとき、議員を呼ぶときに「だれそれ君」と呼ぶのがいけないと言って「だれそれさん」と呼ぶようにしました。
でもこれをひきついだ後継者はいませんでした。
そして、村山政権というものが成立します。すると、いよいよ矛盾ははげしくなります。
自衛隊の指示権をもつ総理大臣が、その組織を違憲だというわけにはいきません。
いままでの社会党の主張と正反対のことをやらざるを得ない。
そして、阪神大震災です。
選挙では本当の大敗をしました。
つじつまを合わせることができなくなったので、かなりのメンバーが、その後民主党になる新党に流れました。
このとき、土井や村山は排除されました。
残存部隊は社民党という政党名になりました。このときに党首が土井たか子ということになりました。
ほかに、てっぺんに置く人材がなかったのです。ですから選挙に負けてもずっと党首でした。
ただ、北朝鮮は犯罪国家ではなく拉致などするはずがない、と主張したりしたことや辻元清美事件なるものとのかかわりで非難され辞任になりました。平成17年ごろだったと思います。
土井たか子と言う人の略歴というか思い出を書いてみました
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